29日、新型コロナウイルスによりお亡くなりになった志村けんさん。
日本中が悲しみに包まれる中、あらゆるテレビ局で志村さんのスペシャル番組が放送されていますね。NHKでは、2018年5月に放送されたドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』を再放送。
その中で紹介された志村さんの芸名にまつわるエピソードをご紹介させていただきます。
芸名に込められた想い・・・
東京都東村山市で小学校教諭の父親・志村憲司さんと、地元の寺の初代踊り子を務めた母親・小山和子さんの間に3男として誕生した志村さんは、「徳川家康のように立派な人間になってほしい」と『康徳』とお父さんから名付けられました。
志村さんが芸人を目指すきっかけになったのは厳格でいつも難しい顔をしていた父親が、テレビの舞台中継を見て大笑いしたことだったのだとか。
志村さんは、当時のことをこのように振り返っています。
すごい力だなと思ってそれが。
こんないつも笑わないおやじを笑わせているってことは、すごいなと思いましたね。
ある日、お父さんがバイク通勤の帰り道交通事故に遭ってしまいます。当時は骨折で済んだと思われたのですが3年後お父さんに異変が。精密検査を受けたところ、脳内出血による記憶障害が判明。志村さんのことも分からなくなってしまったと言います。
入退院を繰り返し、街を徘徊するようになってしまったお父さん。
お笑いの世界を目指していた志村さんは、ドリフターズの付き人になるためいかりや長介さんに直談判したというのは有名な話ですが、この際、お父さんのことを家族にまかせ家を離れていいものか悩んだと言います。
しかし、家を離れることを反対した家族は誰一人いませんでした。
そうして付き人を経てドリフターズの一員になった志村さんはお父さんの名前『憲司』の『憲』から芸名をつけ、『志村けん』に。
その後、父親は54歳で他界。後遺症のため、最後まで息子が『ザ・ドリフターズ』に入ったことを理解できないまま亡くなってしまったといいます。
Twitterでの反応は・・?
#志村けん さんとお父様との精神的な繋がり、それは「名前」に現れている。芸名の「けん」は父の「憲司」の一文字を取り、本名の「康徳」は「徳川家康のように立派な人間になって欲しい」という父の願いを受ける。それは徳川の家紋を採用したバカ殿様につながるのかと。。
— くり (@kuriy77) March 30, 2020
ドリフファンなのに「志村けん」の芸名の由来だけ恥ずかしながら知らなかった。他のメンバーはみんなハナ肇に面白半分につけられたものだったからw彼もそうだと思っていたけど、事故の後遺症で苦しんでいたお父様「憲司」さんからだったのね。それだけでもう泣ける😭#ファミリーヒストリー https://t.co/qna4ZBsqCQ
— 宇宙大將軍八重 (@akabesimotuke) May 28, 2018
志村けんさん。
教師だったお父様のお名前(憲司)からとった芸名だったんだ…。
厳しく、最期は辛かったお父様の人生や、
お茶目で家族を笑わせてきたお母様、
暖かいお兄様方…。ファミリーヒストリー
良い番組でした😭#志村けん さん pic.twitter.com/XBuVjkOpfC— みーさん・羽生クラスタいぬ部💖 (@yuzu_corgi726) March 30, 2020
志村さんの温かいお人柄が現れたエピソードですよね。
このような想いが込められていたとは全く知りませんでした。
胸が熱くなりました。
お父様もきっと喜んでいることでしょう。
今頃一緒にいるかもしれませんね。
【引用元】