私は、一昨年の9月に最愛の息子を亡くしました。
学校から帰ってくる帰り道、昼間から酒を飲んで車を運転していた飲酒運転者にハネられ、頭を強打して即死でした。
今、この様にここに綴っているだけで涙が込み上げて来ます。
悲しみと憎しみが混在し、今にも泣き崩れそうな精神状態である事に変わりはありません。
しかし、私の大好きで愛していた息子の死が、これからの無残で悲惨な事故を繰り返さないために、少しでも役に立てば…そう願います。
私の息子は、とても元気で活発的な子でした。
同学年のお友達は、皆ゲームなどに夢中になる年頃。
しかし、私の息子は一度もゲームが欲しいと言った事はなく、それよりも家に帰って来てはランドセルを「ポーン」とほっぽり投げては公園や外でサッカーボールを蹴ったり、一つ二つ上のお兄ちゃん達と元気に鬼ごっこをして遊んでいる様な子でした。
もちろん悪さをしたり、時には激しく叱る事もありました。
しかし、誰よりも心温かく、そして誰に対してもとても優しい心を持った子でした。
ある日、外に遊びに行ったきり日が暮れても帰って来ず、心配になった私は遊んでいるであろう公園へ…
すると、そこには迷子になっていた犬に水道から何度も手で水を汲んでは飲ませてあげている息子の姿がありました。
1人になるのは可哀想だから、この子(迷い犬)のママが来るまで側に居てあげないと!
人だけではなく、動物にもとても優しい子でした。
そんな我が子が、私の目の前から突如消えてしまったあの日。
誰にでも優しくて温かい息子を奪われたあの日。
私の息子は、居眠りをしていた飲酒運転者に跳ね飛ばされました。
そして、約10メートル近くも飛ばされて、一瞬で短い生涯を終わらされてしまったのです。
具体的には申し上げませんが、事故現場と激しく跳ね飛ばされた息子の遺体の損傷は凄まじかったです。
そして、何よりもその悲惨な事故と息子の無念さが伝わる事となったのは、跳ね飛ばされた場所から10メートルも先に転がっていたランドセルの中身でした…
ランドセルの下部にある、銀色の金具は跳ね飛ばされた衝撃でひね曲がり、息子の青いランドセルは半分程空いていました。
当然、そこに入ってあるであろう教科書や筆箱を拾いに行こうとフラフラとそこへ歩み寄ります。
すると、その中を見て私は立ち上がれないほど泣き崩れてしまいました。
息子の青いランドセルの中には、本来入っているはずの重い教科書や筆箱は一つもなく、その代わりに自分で摘み取ったであろう花が数本、輪ゴムで止められて小さな花束になったものが二つ入っていたのです。
そしてもう一つ、ランドセルの奥底からa4サイズほどの画用紙が一枚。
そこには、
おじいちゃん、おばあちゃんいつまでもげんきでいてね!
だいすきだよ!
と、まだ崩れかけの平仮名で描かれた似顔絵がありました。
そうです、敬老の日…。
息子が学校で描いて、祖父と祖母に渡そうとしていたものだったのです。
そこに添えられていた手作りの花束は、似顔絵と一緒に渡そうと思い、昼休みに一生懸命先生と摘んだものだったそうです…
私は、最愛の息子を失いました。
飲酒運転で息子を跳ね飛ばした運転手は、現在服役中です。
もちろん怒りや憎しみはあります。
しかし、そんな事ではないのです。
そんな事ではなく、息子に会いたい。
その思いだけです…
とは言え、未だ無くなるどころか我が物顔で飲酒運転をする人は後を絶ちません。
ましてや、それが警察官だったりするこの世の中は本当に腐っています!
どうか、一人でも多くの人がこの記事を見て、飲酒運転を止めて欲しい。
どうか、一人でも多くの人が飲酒運転で命を落として欲しくない。
そう切に願います。
運転をするということは、ただでさえも誰かの命を奪ってしまうかもしれないというリスクを背負っています。
まして、飲酒運転などありえません。
自分は大丈夫という気持ちからの行動なのでしょうが大丈夫ではないのです。
一人一人がもっと自覚を持ってこんな悲しい事故は無くなって欲しいと願ってやみません。
【引用元】