とある療育園での出来事。
「こんな子育てられない。」と泣き始めた自閉症児のお母さんに、ダウン症児のお母さんがかけた言葉が刺さります・・
かなり前の療育園での出来事。
自閉症児のお母さんが、「もう、こんな子育てられない。」って泣き始めて…
ダウン症児のお母さんが、「じゃあ、私にちょうだい。大事に育てる。」って言ったことがあった。
そのお母さん、二度と泣き言を言わなくなったし、お子さんを急にかわいがるようになった。
— sakurako (@sakurako_iroha) March 26, 2022
当時の私は、他人事ではないくらいに育児ノイローゼで、「もう無理です。誰かこの子を育ててください。手をあげてしまいそうな私からこの子を守ってください。」と心の中では叫んでいたのだけれど「代わりに育てるからちょうだい。」と言われたら、やっぱり簡単には手放せないよな…と思った。
— sakurako (@sakurako_iroha) March 26, 2022
自分の中では「誰かこの子を育ててください!」という感情は、愛情がないから、辟易としているから湧くのだと思っていたけれど、違うんだ…大事だから、すごく愛しているから、こんな私なんかじゃダメだと思うから、誰かお願い!って思うんだ…あ…私にもちゃんと愛情があった…とそのとき気づいた。
— sakurako (@sakurako_iroha) March 26, 2022
その日から、こんな私じゃダメだから誰か育ててください!と思うのなら、「こんな私」をやめたらいいだけだわ…と考え方を変えた。
私は、「こんな私」を卒業した。私が変わったら、息子も少しずつ変わっていった。
あのお母さんの言葉を聴いていなかったら私はずっと苦しいままだったと思う。
— sakurako (@sakurako_iroha) March 26, 2022
「じゃあ、私にちょうだい。大事に育てる。」
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これ、上辺だけの言葉ではなくて、本気のトーンだった。本気で育てる覚悟があったと思う。その方を救いたい気持ちでおっしゃってたと思う。そのお二人の信頼、日頃の関係性があってこそ成り立つ会話なので、安易に使って良い言葉ではないと思う。
— sakurako (@sakurako_iroha) March 26, 2022
拡散されているので…
そのお母さんにとっては、その言葉が良い方向に作用しただけであって、この言葉を「私なら育てられるわよ。」という意味に受け取る人もいるかもしれないし、さらに相手を追い込む場合も十分に考えられると思いますし、けして泣き言封じるための言葉として使わないでほしいです。
— sakurako (@sakurako_iroha) March 26, 2022
(その後、ダウン症児のお母さんは、「辛い時はいつでも預かるよ。」と全面的に応援、協力し、実際の行動でも、そのお母さんを救っています。泣き言を言えなくしたのではなく、泣き言を言う必要のない状況を作ることに協力されていました。けして辛い気持ちを受け止めなかったわけではないです。)
— sakurako (@sakurako_iroha) March 26, 2022
Twitterでの反応は・・?
私は家族、福祉などのサポートがあるおかげで、我が子を育てられないとは思ったことないけど、満身創痍みたいなことはよくわかります。
支えだけでなく、共闘してくれる人がいるって心強いし、心奮わされる。— 灰色猫 (@mk7YBXxjNYxESWI) March 26, 2022
このお子さんばかりじゃなく、自分も含めてみんながこうやって大切に育てられてきたんだろうなと想像すると泣きそう。親はすごい
— neet_me_neat (@LotHobby) March 26, 2022
私は子供大好きですが、一回も授からずに終わりました。だからお母さんて偉いなあと思います。
何もできませんがお話を聞かせて頂きありがとうございます。世界中のお父さんお母さんお子さんのお幸せをお祈りします。— ムーミン谷 (@aWMPeJVa1nPXe6f) March 26, 2022
小学の頃、自閉症の自分をお母さんは育ててくれました。周囲との齟齬や遠くに引越しまでして迷惑かけたけど、僕含めて3人の子供を見捨てず育てきってくれました
母には今でもずーっと感謝しているし、尊敬しています— ジャギィ (@jagili_jatarou) March 26, 2022
この言葉にハッとした人も多いのではないでしょうか。
何か障害を抱えているいないに関わらず、心がいっぱいになってしまうことは誰にでもあること。
そんな時にいっぱいいっぱいにならない環境を作れたらいいですよね。
【引用元】