とある投稿者さんが投稿したお母さんとのエピソードに胸が熱くなります。
いつも強かったお母さん。
余命宣告を受けてもなお、笑顔で延命治療を断り相変わらず強い人だと思っていたら・・・
看護師だった母は余命宣告を受け、延命治療はしないでいいと笑顔で言った。
相変わらず強い人だなと思った。
でもしばらくして衰弱してきた母は初めて怖いと口にした。
電灯を消すことも、テレビを消すことも怖いと。
母に怖いものなんてないと思ってた。
そう思わせていた母はやはり強い人だった。
もう夢の中にいるのか、現実にいるのかわからいような状態になった母に
迷惑ばっかりかけてごめんねと言うと
「迷惑?うーん…なんかあったかなぁ…可愛い娘ちゃん、娘ちゃん、ヨシヨシ」と私の名前を何度も言ってあやすように顔を優しく触ってくれた。
こうやって私が小さい頃は接してくれてたんだな
でも、父がいなくなって母は強くなろうと決め強くなったんだな。
ちゃんとどこかで弱音を吐けていたんだろうか、涙をちゃんと流していたんだろうか。
私のせいで母は苦しかったんじゃないんだろうか。
いろんなことが頭をグルグル。
それは今でも。
ただひとつだけはっきりしてることはある。
私の自慢の母であることは間違いない。
Twitterでの反応は・・?
やばい、、俺も思い出しちゃった。小さい頃からいないことが多くて、死ぬなんて考えたこともなかったけど酸素ボンベつけて帰ってきたときは長くいられないんだなって悟った。あんまり思い出ないけど、最期にもらった手紙は20年以上経つのにまだ持ってるわ、、思い出させてくれてありがとうございます。
— BakaPerm (@BakaPerm) July 10, 2022
一度も弱音を吐かなかった私の母。入院中のある日初めて「今晩病院に泊まってほしい」と言われたけど、疲れてフラフラだったので「明日泊まるね」と言い帰宅し、翌朝病院へ行ったけど昼に旅立ってしまった。怖かったのかな。最初で最後のお願いを聞いてあげられなくて一人にして、ずっと後悔してます。
— けめこ (@keemeecoo) July 10, 2022
亡き母が初めて倒れて病院でしばらく入院してた時に家に帰りたいと言った母親の言葉は未だに忘れません
— ハシモト(@peco_z12b2) July 10, 2022
私も母は無敵だと思ってました。でも、病気で7年前に亡くなりました。自分が母を苦しめていたのではとか、恩返しが何もできなかったと今でも悔やむ気持ちがあります。でも、何よりも私のことを大切にしてくれた母への親孝行は、自分を大切にしできなかった分他人に優しくすることと信じ過ごします。
— まい (@maii082522) July 10, 2022
迷惑?うーん…なんかあったかなぁ…可愛い娘ちゃん、娘ちゃん、ヨシヨシ」と私の名前を何度も言ってあやすように顔を優しく触ってくれた。
胸を打つ文章です。どうかずっとお母様のそばにいてあげてください。
そして、お母様の弱音をたくさん聞いてあげて、お母様にいっぱい甘えてください。— トゥイッター界の良心 (@k15_yuki) July 10, 2022
我が子の前では強くありたいと思う母は多いかもしれませんね。
それでも死が怖く無い人はきっといないのでしょう。
温かな日々が送れますように・・
【引用元】