最近、モンスターペアレントや、
過保護過ぎる親が話題になっていますね。
そんな中、とある都内私立小学校の
授業参観での出来事が大きな波紋を呼んでいます。
その教室で行われていたある題材の作文発表。
発表中にも関わらず、子供を褒めたり
教室の清掃にケチをつけるなど
過保護すぎる親達の恐るべし発言の数々…
苦笑いしながら授業を続ける担任の先生。
その時、一人の生徒が手を挙げ、
次の発表をしたいと申し出ました。
この授業で行われていた
作文発表の題材は「家族への想い」
手を挙げた生徒は、堂々と作文を読み上げます。
そしてこの生徒が発表した作文が、
教室の空気と過保護な親たちの意識を大きく変えたのです!
『信じあうこと』
「私は、家族が大好きです。
家族も、私のことが大好きです。
でも、たまに、とても悲しい気持ちになることがあります。」
「私の家族は、いきすぎだと思うほど、私のことを心配します。
この前、私は◯子ちゃんとケンカをしました。
私は、◯子ちゃんにいやなことをさせられました。
でも、私も○子ちゃんにいやなことをしたと思い、仲直りをしたいと考えていました。」
「その時に、お母さんは私に、あなたはわるくないと言いました。
◯子ちゃんがわるいんだから、あやまらなくていいのよ、と言いました。」
「とてもびっくりしました。
なんで、私もわるいのに、私はあやまらなくていいのかなって、そのときに思いました。」
「お母さんは、もしかしたら、私のことを信じていないのかもしれない、と思いました。
お母さんは、『自分の子供』ということを信じているだけで、『自分の子供だから』という理由だけで、私はわるくないと言っているんじゃないかな、と思いました。」
「そのとき、とても悲しくなりました。
お母さんは、私という人間のことを信じてくれているのかな、と心配になったのです。」
「私はお母さんの子供だけど、私というひとりの人間でもあります。
その私という人間を、ちゃんと見てくれて、知ろうとしてくれて、信じてくれているのかなって、思う時があります。」
「最近、テレビで、モンスターペアレントという、子供のためにいっぱい怒る人が増えているという話をみました。
それを見て、この作文を書こうと思いました。
きっとそういう人が増えているのは、きっと子供自身を信じるんじゃなくて、『自分が育てた子供』という、育てたこと自体を信じているんじゃないかなって、思いました。
似ているようで、すごく違うことの様に感じるのは、私だけではないのではないでしょうか。」
「私は、家族が大好きです。
だからこそ、家族には、もっともっと、私のことを信じてほしいと思います。
信じあうことができたら、きっともっと仲良く、もっと笑顔いっぱいで一緒にいれるんじゃないかなって思います。」
「私も、もっとしっかりして、勉強もたくさんがんばります。
だから、これからも、私のことをたくさん信じてください。
私は、かならず家族みんなの自慢の娘になります。」
作文の発表中から、空気が静まり返る感覚がありました。
発表後、授業参観にきていた親たちは、誰も言葉を発する事がありませんでした。
でも、少し間ができてから、先生は大きな拍手をしました。
つられる様に、親たちも大きな大きな拍手をします。
発表した女の子のお母さんは、授業参観後に、自身の振る舞いに対して、謝罪をしにいったとの事です。
間違いなく、女の子の発表が、親たちの意識を変えた瞬間でした。
この話は、最近教師を退職した方が、一番印象に残っている話として、寄稿してくれたお話です。
子供は、大人が思っている以上に、敏感に、大人のことを見てくれているのかもしれません。
なんでも大人が正しいと思わず、今一度立ち止まり、自分自身の立ち振る舞いを振り返ってほしい、そんなメッセージが籠っているのかもしれませんね。
【引用元】